“暴君”と言われたこともあった
“熊直樹”と呼ばれたこともあった
プロ連盟の誇る絶対王者に登り詰めた今、
“麻雀道” その遥かなる頂きを目指して…。
第30期鳳凰位戦
今年も出揃った最高の対局者たちを相手に
防衛に臨む。
瀬戸熊直樹 八段 (鳳凰位 兼 十段位)
1970年8月27日生まれ 千葉県勝浦市出身 血液型O型
日本プロ麻雀連盟所属 14期生
愛称は「卓上の暴君」。行き腰の良い麻雀から生み出される親番での大連荘は、ファンの間でKKT(クマクマタイム)と呼ばれる。
獲得タイトル:鳳凰位(第26期・27期・29期)、十段位(第第28期・第29期・第30期)、無双位(第6期・第9期)、發王位(第14期)、他
連盟に入った当初、僕には連盟内に1人として、知り合いはいなかった。
もちろん、雑誌やテレビで知っている有名プロはいたが、個人的に知っているプロは1人もいなかった。
一年間孤独に戦った。
内心「プロとして戦うんだから、むしろ仲良くなる必要なんかないな」とさえ思っていた。
A2に2年で昇りつめた。
その2年間も、会場で多少気軽にあいさつするぐらいの仲の人間はいても、試合が終わればすぐ会場を後にしていた。
飲み会など一度も出た事がなかった。
Cリーグ、Bリーグ時代、A1リーグの麻雀をよく研究していた。いずれこの場面で戦うことを想定して。
自分より麻雀の強いと思われる人の麻雀は、後ろで見学して吸収しようとした。
もちろん、会場で見ていただけなので、A1の人が、なぜその牌を打ったかを聞かなかったし、聞けなかった。
友人もおらず、自分で考えるしかなかった。
今からそんなに古くない、ある日の情景がいつも目に浮かぶ。
麻雀プロ1本でやって行こうと決めた僕は、サラリーマンをやめた。
当然、プロとしての収入源などはなく、雀荘で働く事となった。
その後、身体をこわし、雀荘での仕事もやめた。
もちろん無名の僕にゲストの仕事などのオファーがくるはずもなく、すぐに生活するのにも困る事となる。
普通の人ならアルバイトでも何でもして、何とかするのだろうが、「麻雀プロとして生きて行こう」と、くだらないプライドを捨て切れない僕は、麻雀と関連する数少ない仕事しかしなくなる。
月末に家賃が払えなくなったりした。その日の飯代にも困ったりした。本当にどうにもならなくなった。
仕方なく、年老いた年金暮らしの両親に借金しに行くことにした。もちろん電話なんかできない。
電車にゆられて2時間をかけ、実家のある駅に降り立つ。駅から10分のところにある実家。
門の前まで行くが、インターフォンを鳴らす事が出来ない。近くの公園で日が暮れるまで座っていた。
もうすぐ終電がなくなろうという時、本当に悔しさと申し訳なさに打ちひしがれながら、インターフォンを鳴らす。親父もおふくろも、三十を超えた息子のそんな様子に全てを悟ったようだ。
おふくろは泣きながら「どうして何でもいいから普通の生活をしないの?」と言い、親父は「お前は何がしたいんだ」と冷静に語りかけた。
「プロ雀士として日本一になって、きっと食えるようになりますから、どうかお金を貸して下さい」
土下座して両親に詫びた。
普通の人なら「明日からアルバイトでも何でも始めますから、今回だけは助けて下さい」と言うのだろう。
今でこそ、麻雀界に携わる方々の努力のおかげで、一流プレイヤーになれば普通の生活ぐらいはできる世界となったが、当時は日本一の打ち手になったとしても何の保証もない頃である。
両親から生活費を借り、人ひとりいないホームで電車を待つ間むせび泣いた。
そして誓った。
必ず次に実家に帰って来る時は、「お父さん、お母さんあの時はごめんね」と、笑い話にできるようになると。
A2に昇級してから5年、A1リーグ昇格。そして・・・
第22期 鳳凰位戦
遂に辿り着いた夢の舞台。とうとう掴んだ夢への切符。
阿部孝則、土田浩翔、多井隆晴、相手も皆タイトルホルダー。最高の舞台が整った、全18回戦の闘い。
17回戦を終え、
瀬戸熊 57.2 土田 21.6 阿部 8.2 多井▲88.0 供託:1.0
ずっと目標にしてきた鳳凰位のタイトル。連盟の頂。それが遂に目の前に…
しかし、
あと一歩手を伸ばせば掴めそうだった鳳凰位は、瀬戸熊の手から零れ落ちた。
そして4年後…
第26期 鳳凰位戦
「前原さんに対しては、僕が1番研究したと思うよ。全部の決勝の全局見たし、牌譜も何回も見直したし、癖とかありとあらゆる情報を自分の中にインプットして、シミュレーションしていつも戦っていたからね。プロ連盟の中で、ここ2年くらいで前原さんを1番研究したという自負はありますね。」
再び帰ってきたこの舞台で、ディフェンディングの前原雄大を倒し、鳳凰位のタイトルを、夢を掴みとる。
―総じて人は己に克つを以て成り、自ら愛するを以て敗るるぞ―
西郷 隆盛
「克己心」 よく色紙に書く言葉です。
いつも心を込めて書くようにしている。
いつまでも、いつまでも忘れないように。
小学生のとき、親父が剣道の先生だった事もあり、嫌々ながら道場に通っていた。
剣道より野球の方が好きで、週3回の練習の内、1回しか行ってなかった。同じ道場に、斉藤君という子がいて、この子だけには歯がたたなかった。子供心に勝ちたいと思うようになっていた。
1年間だけ野球をやめて、道場の練習に毎回行く事にした。その時何度もくじけそうになったが、ある言葉を見て頑張った。いつも使っている、手ぬぐいの文字には、こう書いてあった。
「克己心 日本原駐屯地剣道部」
他の先生が意味を教えてくれた。
「暑い時や寒い時、稽古に来るのは嫌だろう。でも自分の弱い心に打ち勝って頑張ることが大事なんだよ」と。
1年後、初めて斉藤君に勝った時、本当にうれしくて、それ以来好きな言葉になった。
それからの僕の人生、色々な事から逃げてばかりだったけど、麻雀だけはこの言葉を胸にやり続けてきた。
第27期 鳳凰位戦 連覇
瀬戸熊時代到来、そう麻雀ファンの間では囁かれていた。
しかし、
第28期 鳳凰位戦 失冠
第28期鳳凰位決定戦の3日目を終えた時に、僕の大切な人からメールが届く。
「お疲れ様。一言、お前らしくない。正直面白くない。それより何より、お前のオハコでもある暴君!?何処に行っちゃったのでしょう?よそ行きの麻雀なんか打つな!!そんなに放銃が怖いのか?⑨pくらい勝負しろよ!楽して逃げるな。今回、お前は誰と勝負しているの?この3日間誰とも勝負してないじゃないか。先行麻雀は誰でも出来るんだよ。先行されても、瀬戸熊はそこをまくりきる麻雀でトップになったんじゃ無いのか?中途半端な麻雀打つから手が入らないんだよ。いい加減、腹くくれよ。苦しいのはお前だけじゃないんだよ。お前を応援しているファンもみんな苦しいんだぞ。さあ泣いても笑っても、あと5回戦だ」
帰りの電車で読んだ。だけどこの時点では、僕はまだピンときていない。それほど、茫然としていた。
自宅に戻り、もう1人の僕の麻雀をよく知る人物に、「どうだった?」と聞くと、メールと全く同じ事を言われる。
ここでようやく気が付く。
だまって携帯を差し出し、メールを見せると、
「感謝だね。こんなに貴方を大切に思ってくださる友達がいたんだね」
少し涙を浮かべて、
「一生の宝物として、清書して張っておかないといけないね」
と言われた。
それから1年、僕はこの敗戦を胸に刻み、日々を過ごした。
第29期 鳳凰位戦 奪還
「麻雀って、突き詰めると結局、禅問答のように、自分の追い求める形にたどり着けるかどうかで、タイトルの1つ1つは、自分がやってきた事が正しいかどうか証明するにすぎないと同時に、それを世の人に証明するには結果を出し続けなければいけないと思うから。」
「生きている間に真理にたどり着けるかどうかはわからないけど、かなり近いところまで行けば、そのイズムを引き継いでくれた後世の者達が、真理まで辿りつけるかもしれない。生きているうちは真理に向かって走り続けたいんだよね。本当の成功は真理にたどり着く事だと思うから。そのために必要なのが究極な戦いの場所で、鳳凰戦であり十段戦である。そこが一番僕を成長させてくれる場所だと思うから。」
その切り出される危険牌の数々は暴牌といわれた。
その暴れっぷりから“暴君”と称された。
しかし瀬戸熊は危険牌を切り続けた。自分自信の麻雀を貫く為に。自分が自分である為に。
そしてその戦う麻雀で十段位三連覇、鳳凰位奪還と勝ち続け、いつしか王道の麻雀と言われるようになった。
2014年 1月26日
今年も再びこの舞台がやってくる。瀬戸熊直樹が最も瀬戸熊直樹である場所、最高の時間が待つステージ。
対戦相手は、
昨年もこの舞台で戦った麻雀忍者 藤崎智 七段
3連覇を賭けた十段戦、最後まで死闘を演じた相手 沢崎誠 八段
そして、
自分の麻雀を最初に認めてくれたトップ雀士 伊藤優考 九段
「お前、センスあるから頑張れ!」 その言葉に支えられ、自分を信じぬけた。
その恩人に、最高の舞台で最高の自分を見せる。
って、ながながとフって、オチそれか~~~~い(o゚Д゚)=◯)`3゜)∵
てかオチてねぇ~しΣ\( ̄ー ̄;)
ぷり